文化・芸術

十三夜

10月になった。

昔、都民だった頃、今日は休みだった・・・。

わかるかなあ~?

わかんねえだろうなあ・・・

いやいやいや・・

今週末3日(土)は、

中秋の名月である。

残念ながら

どうやらお天気は

はかばかしくなさそうだ。

しかし

「光り」が一番美しいのは、

13夜とも言われている。

今夜だ!

曇ってはいるが、

少し可能性もありそうな。

この毎年同じように巡ってくる

季節の行事に

なんとも癒される。

しかし・・・

「同じように」

と思っているところに、

重大な勘違いがあり、

365日、

実に8760時間が

過ぎているのだ。

「もう」

「まだ」

を繰り返しながら、

5年10年、

あっという間。

昨日、

「カレンダー売り場」(来年用の)が設営されていた。

「手帳」のコーナーも、普段の数倍に。

もう

2010年の予定は‘すぐそこ’。

呑気にしていると・・

次に気づいた時には

2011年のカレンダーが出ているかもしれない。

来年の中秋の名月は

9月22日。

もう・・・1年無い!

| | コメント (0)

流行と古典化

先の爆笑問題の

「大衆に受けるか受けないか・・・」

の話の際、

少し思い出しかけて忘れていたものを、

少々のきっかけがあって・・・

思い出した。

20年くらい前にベストセラーになった

外山滋比古氏の

「思考の整理学」

この本自体は、

頭の中に知識を入れようとしたり、

入れた知識を元に思考したり、

それを発展させたり~という

知的生活でのアイディアであったり、

発想の提案が書かれている本である。



が、

思い出したのは、その中の

「時の試練」

の章である。

これは決して先ごろ書いたような

「本物」であるか「偽り」であるか・・

ではない。

しかし、「偽り」ではないまでも、

その視点が

「刹那的」なのか

「永遠」なのか?

を問うものと、

それを理解する側の‘眼’なのである。

大正時代、天才という名を欲しいままにした

島田清次朗という作家。

(今では‘作家’と書かなければ、何をした人なのか

わからない)

当時、疑問や批判の的になっていた

夏目漱石。

大正の中ごろに、

現在の夏目漱石の評価を予測しえた人は

ほとんどいなかった・・・らしい。

それほど、

人々の「眼」というのは、

慣れ親しんだ中での逸品しか

理解することが困難である・・・

ということなのだ。

著者は

「流行の眼がね」と称する。

過去の産物と現代知り得る安心の中では、

なかなか真の価値を見出すことを

ためらわせる・・というのだ。

真の価値あるものは、

それは・・過去から延々と続いてきた

「時の試練」を経て

辿り着く(古典化)ものだ、と。

「時の試練」を潜り抜けて古典化されてこそ、

人々の

価値も安定する・・・と。

つまり、「現在」真っ只中で

(大正時代のように)

価値を見極められない・・。

もちろん、

それは・・結果なので、

誰しもが納得するのであるが、

著者の面白い提案はココカラだ。

では、「現在」真っ只中で、

まだ、新しいものが怪奇な姿のまま、のうちに、

「時の試練」を経る前のものを、

どうしたら、

少しでも‘時の試練’を自ら課し、

「古典化」に近づけることができるのか?

の提案が面白い。




自分の中で

忘却を促進して、「古典化」を早める・・

というのだ。

コレってスーパーマンが

瞬時に地球を何周もして時を止めるみたいな???

(違うか・・?)


細かな部分は是非、原本から

読み取っていただきたいのだが、

私が注目したのは~~~~

作品についての

事後承諾の評論に終わらせることなく、

読み手側の「古典化促進」

~~~~今後、本物となるものを見つける努力

をしようじゃないか?~~~~~


・・・というような、受け手側への

提案が書かれていることである。

つまり、

「時の試練」を潜り抜ける前の作品を

‘時の流れ’だけにまかせずに、

既に読み手の努力と能力で

少しでも「古典化」を促進して判断しようじゃないか?

と言う提案。

最終的には著書全体に流れる

「思考の整理には忘却が一番」

という結論に集約されるのだが・・・

「古典化」の終わった秀作、

そして、現在の「流行」

これは、誰もが納得が安易であるし、

納得すら必要としない。

しかし、「現在」に生きる者として、

作り手も、受け手も、

やはり、安易に流されず、

未来に向けての「本物」を

見つけたり、

目指したり~~

という困難さを

手放すのは・・・・

つまらない。




「忘却」でそれができるなら、

私なんぞ年齢的にも得意中の得意なんだが・・・・

そうじゃなくて!!!

私が思うには、

常に新鮮な興味を持てる

感受性を失わない~~

ということだろうか。




「慣れ親しんだ眼がね」

「気楽な眼がね」

をかけない

素の眼で

対峙する~~~~~

それを困難と思わない弾力のある感性。

ただし、

この場合の感性とは

持ち合わせている感性ではなく、

自ら努力し、作り出す感性である。





しかし、

20年も前に読んだ時と、

まったく違う箇所が気になるのは・・・・

人間もまた生身で

「時の試練」を

経ている・・ということに他ならない~~~~。

| | コメント (0)

本物を見る眼

静かに厳しく

本物を見ようとする眼や

純粋に穏やかに

本物を感じたいとする心を持った人、

そして、他者に惑わされること無く、

自分自身の眼、耳、心に

正直にいようとする人

そして、

それを自分の言葉で語ることのできる人・・・が

私は好きだ。

分野にとらわれず、

私が長くつきあっている友人は

皆そういう一片を持ち合わせている人ばかりだ。

それは音楽ばかりでなく、

文学でも美術でもetc・・・・。

今日、

久々に更新をされた友人のブログを読んで

改めて実感した次第。

彼女は、中学時代からの友人。

(実は幼稚園も同じだったが当時の記憶は曖昧)

彼女とは、よく美術館や博物館、

(特に古き日本の美術物)

にご一緒していただく。

しかし、昔はよく音楽会もご一緒した。

実は、あのNHKホールに初めて出かけたのは、

彼女とだったし、

私が初めて生で

オーケストラがボックス入りしたバレエ(チャイコ)

を見に行ったのも・・・・

彼女とだった!

彼女は豊富な知識のみならず、

理知的な分析力もあり、

同時に、

本質を感じようとする真剣さがあり、

それを自分の言葉で丁寧に表現する

誠実さのある人。

そういう彼女と作品を見たり、

話をするのは

非常に楽しい。

今日、更新された

彼女のブログをちょっと・・ご紹介。

http://japanesearts.cocolog-nifty.com/silkroad/2009/09/post-f2ff.html


| | コメント (1)

NHK~爆笑問題~「ニッポンの教養」

昨日のNHK(爆笑問題in 芸大)。

だいぶ・・カットされたようだったが、

さほど編集に違和感は無かった。

もともと、‘爆笑問題’は大好き。

しかし

番組のとしてのテーマが決まっていたのか、

太田氏個人の問いかけだったのか・・・?

教授や学生に

どんな返答や議論を期待していたのか

番組としての主旨が

少々、ぼんやりとした印象が否めない感も?

♪すぐ美味しい~♪すごく美味し~い♪

が全てじゃないくらい熟知しているはずなのに、

「今すぐ伝えたい」とか

「より多くの一般大衆に響いてもらわなくちゃ」

と彼は拘る。

表現者全てが、その問題に直面しているかどうかを問われても

直面する必要のある者と無い者が同時に居て当然。

彼のもつ疑問点は

「フレンチのコース料理や、

時間をかけて目や香りを楽しみながら食す

懐石料理じゃ

餓死する人を救えない」

し、

「三ツ星の美味しさは、

いくら世界一流と言われようとも、

大勢の大衆に味わってもらえない。」

というのと同じでは?と、思えた。

そして

「そこをどう考えるか?」・・・と。

「(受け手の反応までの)時間」・「(受け手の)物量的な数」の問題と

「表現者側の満足」の問題を

美術や音楽の表現の中に

投影していたように感じた。



多種多様な「表現」を

同じ物差しでは

測れない・・・・し、

また、物差しは

受け手側だけに発生するものでもあるまい。

そして・・・更に彼は

表現者としての

選択や価値観は自由だとしても

ただ社会で生きていくために

さてどうする~

と?

その解決法は表現者個々さまざま~

というところにしか

落としどころは無いわけで。

当然収束することなく問題の矢を放って・・・番組は

G.P.
  

にて終了。

それにしても、

「即」

「数」

かあ~~~~~~~~~~。

その(‘即’と`数’)ために

捨てなければならない魂がある~~

と力を込める太田氏は

実はご本人が

葛藤やジレンマに絶えず取り囲まれて

いるようにも見て取れた。



「現代の表現者が直面している問題点」

というけれど~~~

古来からず~~~っと

その問題と相対しているのが

表現とか芸術だろうし、

当然のことながら、

美術と音楽とでもまた違うし。

表現も違えば、感動の仕方も違う。

(深いところでは同じだとしても)

でも、皆、‘個’。

自然に其々が夫々の淘汰を

探るしかないし、

目指す満足の境地や質は

十人十色。

また、

表現者も生きてる限り、

同時に、

(他の表現の)‘受け手’となっているわけで。

受けては誰でも、

応急処置が必要な魂も

ゆっくり体質改善したい魂も

持ち合わせていて、

自由にその対象(表現者)を

選び取っている。

表現の価値は、それぞれの需要に発生し、

物理的な時間に比例するものでもなく

(刹那的な価値も、永遠の価値も有り)、

‘手ごたえ’や‘反応’が

民主主義的ににもたらせれるものでもなく、

無論、

少数=絶滅種=貴重

と思い込んだり陶酔するのは

短絡的な勘違いというもの。

後者(勘違い)に引き篭もること無かれ~

というメッセージなら

ありきたりに浮遊している。


でも、時には多数決から

解き放たれる自由も

必要だったり~。

「即」

どころか~~~~

「今」も

「昔」も

鮮やかなひとつの答えは

到達しないのではなく、

‘存在しない’

よって・・・

正解は~~~~

── G.P. ──

に縋るしかない~~か(←反語に非ず、息を吐いて小さく発音するka )

番組の製作方向に

納得。

しかし、若い人が、

こうしたいろいろな迷いを持ちつつ、

そして振り払いつつ、

ひとつの方向性を探る可能性に繋げるには

とても良い機会。


昔、友人が美術館で

「歴史上の作品を見ると、

やはり細やかな手の込んだ作品は

平和な時代に出来ているのね」

と言った一言を思い出す。

こうした議論を楽しめる時代

期待できるかも!

そして、押しも押されもしない

大御所に向かいつつある

「爆笑問題」が、

そのうち・・何かまったく別の表現を

見せてくれるような期待も・・!!

| | コメント (0)

芸大美術館

中学時代の友人と芸大美術館

「コレンクションの誕生・成長・変容」へ・・。

友人は美術(特に‘和もの’)に詳しいので、

いつもご一緒していただいている。

特に、仏像関係の美術は

彼女の説明無しには時代さえも

作品からだけでは受け取れない私。

細かく、装飾品がたくさんあるから、

○○時代・・とか聞くと

時代背景や作品の背景が想像され、

非常に面白い。

友人は数年前に五浦に出かけて以来、

平櫛田中がどんな人だったのか気になっていて、

それが

今日、

彫像があった!

・・・と。

大変暑い日だったが、

思い切って出かけた分、

充実した時間が過ごせた。


| | コメント (3)

梅の実る頃~梅雨入り~

関東地方もいよいよ梅雨入り。

「梅雨」という言葉の語源には諸説あるようだが、

「‘梅の実る頃’降る雨」・・・というのが、

一番美しいから気に入っている。

実際、身近にも~

梅雨入り近くなると・・どこのスーパーでも

大きな‘青梅’が置かれる。

あらゆる野菜・果物に‘旬’がなくなったスーパーで、

これだけは・・・この時期しかお目にかかれない!

まさに~「期間限定」である。

先日、漬けた我家の梅、

Photo

いい感じに

浮いてきている。

毎日、梅が皺になり、

氷砂糖が溶け行く様は

いとをかし~!

さて、

本日の鎌ヶ谷音楽学院の正面玄関脇。

確かに先週は咲いていなかった

Photo_2

濃い鮮やかなピンクの

紫陽花に出迎えられ~

これもまた、

‘正しい梅雨’・・・と、

ひとり悦に入る。

| | コメント (0)

時の記念日(漏刻のロマン)

6月10日~時の記念日~

今はあまり言われなくなったのかな。

しかし

幼い頃教わったことは、引き出しが軽く開く。

6月4日の虫歯予防デーと共に、

祝日でもないのに・・・。

4日は大きな獅子舞の獅子くらいの大きさの

歯の模型を手にした校医さんが、

大きな歯ブラシで磨き方を指導。

10日は必ず

「時は金なり」~との話を聞き・・。

************

その後、上野で‘飛鳥時代の文化展’で

中大兄皇子が作らせた・・という

日本初(らしい)の

「水時計」(漏刻)の展示を見た時、

‘時の記念日’の由来を初めて知ったのだった。

その日本初の水時計が出来た日を、

現在の暦に当てはめると

6月10日になると・・。

しかし、その由来にもまして~

その水時計(漏刻)を見た時、

新鮮なショックというか、

不思議な感動に包まれたのを覚えている。

何やら科学的な中にも‘ロマン’を感じたのは、

‘水’というものの性質上からだろうか・・。

ゆったりとしたはるか昔の~時の刻み?

と思いきや、時の刻みは不変であることを思うと

漏刻は何故忙しなく感じないのだろうか?等など・・・。

もし、まだ見たことのない方は是非、何かの

資料をご覧下さい!

今思うに、

‘時間はたっぷり’の小学生にとって

「時は金なり」より、

この日本初の水時計の方が

興味をそそるんじゃないかな?

そして~~~

この年齢になってくると・・

「時は金なり」どころではなく

「時は命なり」

!!!!!!!!!

| | コメント (0)

皇女たちの信仰と御所文化 尼門跡寺院の世界

小雨降る中、芸大美術館に

「皇女たちの信仰と御所文化 尼門跡寺院の世界」

を観に・・・。

Photo

旧友で

仏教美術や

日本文化史に詳しい

Aさんとご一緒だったので、

ちょこちょこ説明していただけ、

有意義な観覧。

それにしても、

‘仏教の文化’とはいうものの

皇女文化とあって、

優雅な部分もあり、

きらびやかですらあり、

それがよりいっそう、

厳格でしきたりに縛られた人生を

映し出すようでもあり、

その対比の中で

‘信仰’という存在の大きな支えを

見るようでもあり・・。

ともあれ、

美しく繊細な色彩豊かな手仕事の数々を

堪能することができた。


やんごとなき世界を堪能した私たちは、

煩悩の世界へ思いっきり戻り、

叙々苑の焼肉を・・頬張った!

| | コメント (0)

白樺文学館

久しぶりになんの予定も無い一日。

友人のWさんが車で中出(遠出・・ほどの時間はないので)に

連れて行って下さり・・・羽を伸ばした!

手賀沼の先、利根川の近くにある「かじ池亭」でのランチ。

美味な食事もさることながら・・目の前にかじ池の素敵な庭。

1

池にはすいれん、畔にはあじさいが素敵だそうだが、

今も新緑がとても素敵!

食後、畔の散歩も出来、日傘まで用意して下さっている。

散策をしていると・・菖蒲のの花も!

2

別世界にうっとり!

その後、手賀沼の丘の上の方にある喫茶店

「小綬鶏」(こじゅけい)へ・・・。

奥にある家は武者小路実篤邸跡(別荘?)という~

いかにも趣きのあるうっそうとした木立の中。

(口コミ以外には絶対見つからないだろうこの喫茶店も

駐車場が満車なほど!)

山小屋風のその雰囲気はちょっと

軽井沢にある喫茶店の風情。

さて~~~今日のハイライト!

この手賀沼の畔というのは、文学者たちの別荘が

多く、集まっていたとのこと。あちこちに文学者の別邸の跡があり、

志賀直哉邸跡の向かいには「白樺文学館」という

施設もあり、大正デモクラシーの時代の新しい文芸活動の

さまざまな軌跡が展示されている。

志賀直哉が小林多喜二に向けて「蟹工船」を賞賛している

自筆の手紙などなど・・・。

こんな貴重なものがこんなところ(失礼!)にさらっと置いてあるの!?

という驚きも。

あまり華々しい宣伝はされていないが、是非、興味のある方は

行かれてはいかがだろうか?

こじんまりとした施設だが、大変きれいで、

地下に音楽室(オーディオ設備など)があるのだが、その椅子などの

家具までも非常にセンスがよく、居心地の良い空間だった。

夕方、手賀沼の遊歩道の八重桜(散り始め)も堪能。

すがすがしい脱日常の一日だった。

| | コメント (0)

パンのみにあらず

先日、朝日新聞の一記事に目が留まった。

昨年末以来、ほぼ毎週入選を重ねている

「ホームレス・公田耕一」と名乗る歌人がいるとのこと。

入選するも、住所不定(ホームレス)のため、

入選一首につきはがき10枚の謝礼も、

本誌に寄せられる励ましも届けられないとのこと。

月曜日、この朝日歌壇が掲載される

新聞を購入するか、100均の「赤いきつね」を買うか

迷いつつ、朝日新聞を買う・・・という句もある。

‘柔らかい時計’を持ちて 炊き出しの

カレーの列に 2時間並ぶ

鍵持たぬ 生活に慣れ 年を越す

今さら何を 脱ぎ棄てたのか

親不孝通りと言へど 親もなく

親にもなれず ただ立ち尽くす

パンのみで 生きるにあらず

配給の パンのみみにて 一日過ごす

心情吐露で終わることの無い、

第三者の自身が自らを見、

迷い、風刺すらしているような。

心からの叫びであるのに、

何処か冷静な諦観と

達観した境地をもった響きとして伝わり、

啄木の「じっと手をみる」・・と似たような

深さを感じる。

今の状況に到るに、どんな事情が自他ともにあったかは

わからないが、その状況下で、このような歌を詠む、

(その歌が人の心を打つ作品である)

知的な芸術的な発露がある、

そんな貴重なヒトの一面を

アピールした彼は、

彼の所属するホームレスという‘彼ら’の存在を

十把ひとからげにしてしまう危険性と

個々の思いの貴重さを

改めて世に問うものであるとも感じる。

一時代前の「美しい日本」コールは

さすがに机上の空論、言葉でありすぎ、

いささか引いてしまうコピーだったが、

同じく叫ばれた「再挑戦のできる社会」は、

一時期のスローガンで終わらせて欲しくない、

現代社会(特に高齢化時代の)の

掲げるべきテーマとして潜在しているはずだ。

ともあれ、

「パンのみであらず」・・の公田氏(仮)には、

何か揺さぶられるものを感じ、

久々に新聞でよい記事を目にした。

(わが身に立ち返って)

人を感動させるって、

言葉でも、音楽を使っても・・・

行動をもってしても・・・

簡単にできることではない!と・・・。

かろうじてパンを食べることができる私、

いったい、何ができているか?・・・と。

きっと公田さんは、道を切り開くだろう!!

と、明るい展望をもって祈念する。

| | コメント (0)

ポジティブな暦

昨日は・・・

Setubun01

開運招福 善光寺御祈祷済

(北海道産大豆100%使用)

と銘打った(信用して)

‘鬼打ち豆’なるものを用意。

夕食は、とびきり大きな恵方巻き。

いわしも焼くべきだったのだが、

海鮮太巻きとの相性にどうしても疑問を覚え、

いわしはつみれ汁にした。

この夜ばかりはシーンとした食事。

東北東を向いてもくもくと・・・。

そして今日は‘立春’

最近、窓の外を見ると

陽の光は明るさを増していて、

春!?と、感じることが時折あるが、

本日は、お世辞にも春のかけらも見られない日。

これから極寒に向かうわずかな日々を

慰めるかのごとく

「立春」!なんて・・・

暦ってポジティブ!!!

| | コメント (0)

拝啓ゴッホ様

世の中、宣伝と広告の商戦である。

「桃李もの言わざれども下おのずから蹊を成す」

などと悠長なことを言っていられない時代なのだ。

美味しくたって宣伝しなくちゃ知られない。

どれほどお得か説得しなくちゃ購買欲を満たさない。

その‘売り上げ’に会社の命運が、そして社員の生活が

かかっているのだ。

(あくまで、‘売り上げ’にである。

‘価値’にかかっているのではない)

特に、IT業界が目覚しくなってから、紙媒体の産業は

著しく変化を求められ、新しい工夫が要求されたり、

付加価値を持たせたり、

購買欲をそそるありとあらゆる努力をされているのは

よくわかる!

扱う販売店でも真剣である。

しかし・・・それにしても、センスというものは必要ではないだろうか?

本日、「週刊西洋絵画の巨匠」の創刊日で、

第一回‘ゴッホ’だった。

私もどんな監修なのか興味があり、

帰り道、本屋でちょっと見て購入しようかな・・と思っていた。

ところが!

サラリーマンの帰宅時ラッシュは売り時と見たからだろうか?

・・とある駅の大きな本屋の店頭で、

きれいなお姉さんが数人、大声で、

「いらっしゃ~~い!!どうぞ!!おひとついかがですかぁ~!」

っと。

手にしているのは・・そう、「ゴッホ」

ち・・違うだろう!???

・・どう考えても・・・。

何度もお姉さんの手元を見てしまった。

ビールでも発泡酒でもない!

‘ゴッホ’だ。

こ・・これはなにかの間違い。

出版社や本屋ではなく、

若いお姉さまがたの手違いだ・・・と、

信じたい。

‘物言わぬ’ゴッホ様

いかが思われますか?

| | コメント (2)

お月見

Yuugao_2 先日書いた、オベリスクのてっぺん咲く白花夕顔。

Rindo 今夜のお月見を心待ちにするベランダの‘りんどう’

今夜はお月見。昨日までの天気予報の心配をよそに、

大きなお月様がお目見え!

虫の声が響き渡る中で見る月はなんとも風情が・・・。

それにしても、日が暮れるのが早くなったこと!

Tsuki

| | コメント (1) | トラックバック (0)