文化・芸術

花ふぶき~阪本越郎

以前にもご紹介した私の大好きな春の詩。

この季節には・・・どうしても!

「花ふぶき」      阪本越郎


さくらの花の散る下に

小さな屋根の駅がある.

白い花びらは散りかかり、

駅の中は、花びらでいっぱい

花びらは、男の子のぼうしにも、

せおった荷物の上にも来てとまる

この村のさくらの花びらをつけたまま、

遠くの町へ行く子もあるんだな。

待合室のベンチの上にも、

白い花びらは散りかかり、

旅人は、花びらの上にこしかけて、

春の山脈をながめている。


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野田秀樹氏の舞台


お芝居好きの友人が誘ってくれて、

池袋の東京芸術劇場に

久々に、舞台を観に行った。

それも

野田秀樹作・演出のみならず、

野田秀樹氏と中村勘三郎氏が夫婦役という

見所満載というお芝居だそうで・・・・・・・

非常に楽しみにして行った。




いやぁ~~~

面白かった~!!!




野田氏と中村氏の絶妙のかけあいの・・・

演技(?)というのか~~??

もう・・・・ほとんど「素」(?)と間違うばかりの


自然の空気と台詞。



漫才のコンビにもなってしまいそうな「あ・うん」の呼吸。

‘90%アドリブでした~~’

・・・と言われても納得するくらいの自然さ。

──────まあ~~~~80分間アドリブ言い続けられたら


それはそれで怖いか・・・──────











余り広くない限られた空間の舞台で、

与えられた状況がたったひとつ。

そして、夫婦と娘の三人きりの登場人物の

三様のキャラクターのみで

よくもまあ~

こなれた掛け合いと、

それぞれの妄想とで

常に楽しく、笑いが絶えず・・・

そして、思いがけない有り得ない展開に持ち込まれ

日常から妄想へ~~と誘われ

誘われるままにひとつのドラマの山場が出来、

自然に収拾される~~~~~

ゲラゲラ笑いながら・・・

非常に効率よく計算された異空間で

楽しませてもらった・・・心地よさが


後からほんわか残るようなお芝居だった。

何が起きたわけでもない

さりげない出来事と会話にちりばめられた‘言葉’

‘言い回し’‘表現’は・・・

活字で受けるインパクトのような


鋭い切込みがあってリズム良く響いた。

それにしても、


野田氏の奥さん役、


板についていて・・・・・

素晴らし(?)かった!!




───拍手!!











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オルセー美術館展2010

昨日は

友人Fさんと新国立美術館の

「オルセー美術館展」に行って参りました。

オルセーは

来る度に、

ほぼ外さずに見に行った・・と記憶してますが。

今回は

かなりのボリュームで・・

素晴らしいです!

ゴッホも

モネも

セザンヌも

こんなにたくさん

来てる~!!!

・・・と

パッと空間全体を見渡しただけでも

感動するくらいでした。

大抵、

前宣伝されてる「絵」が1~2点のみ

だったり

多くて数点じゃないですか!

大満足です。

ほかにも

見ているだけで

充足した気分にさせられる

お気に入りを発見・・・。

それにしても、

こうした(同じ美術館の)来日ものの絵画を見るのは

何年かに一度ですから

以前見たものでも

時間の経過とともに

違った印象で見えたり、

違った驚きや感動が生まれるのは

面白いですね。

感想は自分の中で

愉しむとして~~~

美術館状況を

お知りになりたい方もいらっしゃるので

昨日の様子をご報告しますと・・・・

混んではいましたが、

少し後ずさりすれば

好きな絵の前で立ち止まることも可能で

また

説明書きを見たければ

人垣の隙間を縫えば

前へ行く機会もうかがえる

余裕はありました。

同じ部屋内でしたら・・・

少し逆行して歩いたりも可能です。

入場前に

「一つの絵の前であまり立ち止まらないように」

とは注意されますが、

館内で

忙しなくアナウンスされることはありません。

中にソファーのある部屋もあり、

そこでその場の雰囲気を楽しまれたり、

少し空いたときを待っている方も

いらしたようです。

皆さん思い思いに愉しんでいらっしゃいましたよ。

昨日の状況ですと、

昼食前に入る場合は、

‘30分待ち’

とのことで~~

昼食後に。

すると・・

‘10分待ち’。

もう・・ほとんど‘自然渋滞’くらいでした。

私たちが見終わって出口に出てきた3時半ごろには、

「待ち」は解消していましたので

(6時までですから)。

今回のオルセー美術館展は

非常に充実していましたので、

もう一度行けたら~

と思っています。

(8月中旬までなんですよね・・

きびしい!!)

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ボストン美術館展

以前から楽しみにしていた

「ボストン美術館展」を観に、

六本木ヒルズへ・・・友人と。

4/17~6/20と会期の間(出来ればウィークデー)に

行かれるかどうか危ぶまれていたが、

ぎりぎりでウィークデーに行くことが出来、

ラッキーだった。

もちろんウィークデーとはいえ、

かなりの混雑はしていたが、

少し、気に入った絵の前で

立ち止まることが可能な程度ではあった。

(本当に混雑がひどくなると、

立ち止まり不可の美術展も記憶にある・・・)

しかし、スペース的に、

さほど広いわけではないので、

(上野界隈の美術館のように)

広いスペースの中で、真ん中に椅子があって、

絵を眺めながら座って雰囲気に浸る~

といった感じではなかったが・・・

そんな楽しみ方をしたいような

絵に囲まれていた。

印刷物では眼にしたことがあるものの、

やはり実物を観て、

新たな印象を持つものも多い。

モネの「ヴァランジュヴィルの猟師小屋」の

キラキラとした幸福感が輝いているような・・・

スコ~~ンと突き抜けた明るい光りで満ちているような・・・

吸い込まれそうな


‘海’



に魅せられた。

やっぱり本物の威力なのだなあ!

全体の雰囲気はさまざまな印刷物で見ていても

全然違う迫力に打たれる。

この「海」こんなに明るいんだ・・・!

今回は

時代や国を超えた巨匠達を

テーマ(肖像・日常生活・宗教・静物・風景)別

というコンセプトの展示になっていた。


しかし

ふっとその世界に入り込んでしまうと~~~

(頭が)容易には時代や国を超えられなかったり、

切り替えるのが残念だったりもした・・・。

もう少し何点か・・続けてみたいと~~

そんな中、前述のモネは、

11点あり、風景画10点は同じスペースという

配慮が利いていた。

う~~ん・・

不可能だろうが、

もう少し空いた状況で、

ゆっくり浸る時間があったら

いいのになあ~と。

(ボストン・・行くしかないか!?)

今度は、8月中旬までに

ミッドタウンの「オルセー」かな。

「オルセー」は何年か前、

上野国立西洋美術館に

行った記憶が残っているが

今回も楽しみだ。

美術館を回る時は、

大抵ご一緒のAさんとの

六本木ヒルズでのランチもおしゃべりも

楽しかった。

彼女は、日本の美術や仏教美術に

詳しいし、視点の鋭い。

そういう感性の人と

ボソボソ感想を洩らしあいながら観るのは

楽しいし、

いろいろ気づかされることも多い。

充実した都会のひとときだった。

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夜の美術館

2

Photo

↑とてもきれいなので、是非、

クリックして大きくしてご覧下さい!!

大通りや駅やイベント広場のゴージャスなイルミネーションも良いが、

静かな夜の美術館のイルミネーションもまた品が良くて美しい!

国立西洋美術館の前庭、

閉館後もしばしイルミネーション開放をしている。

混雑もなく、ゆっくりベンチに座って眺めている人もいたりして。

小さな寄り道で、

ずいぶん特した優雅な気分になれた。

去年は青メインだったが、今年は緑!

あっという間に

12月になってしまった

あわただしさを

ふと忘れさせてくれる

落ち着いた

イルミネーションだった。

Photo_2

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十三夜

10月になった。

昔、都民だった頃、今日は休みだった・・・。

わかるかなあ~?

わかんねえだろうなあ・・・

いやいやいや・・

今週末3日(土)は、

中秋の名月である。

残念ながら

どうやらお天気は

はかばかしくなさそうだ。

しかし

「光り」が一番美しいのは、

13夜とも言われている。

今夜だ!

曇ってはいるが、

少し可能性もありそうな。

この毎年同じように巡ってくる

季節の行事に

なんとも癒される。

しかし・・・

「同じように」

と思っているところに、

重大な勘違いがあり、

365日、

実に8760時間が

過ぎているのだ。

「もう」

「まだ」

を繰り返しながら、

5年10年、

あっという間。

昨日、

「カレンダー売り場」(来年用の)が設営されていた。

「手帳」のコーナーも、普段の数倍に。

もう

2010年の予定は‘すぐそこ’。

呑気にしていると・・

次に気づいた時には

2011年のカレンダーが出ているかもしれない。

来年の中秋の名月は

9月22日。

もう・・・1年無い!

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流行と古典化

先の爆笑問題の

「大衆に受けるか受けないか・・・」

の話の際、

少し思い出しかけて忘れていたものを、

少々のきっかけがあって・・・

思い出した。

20年くらい前にベストセラーになった

外山滋比古氏の

「思考の整理学」

この本自体は、

頭の中に知識を入れようとしたり、

入れた知識を元に思考したり、

それを発展させたり~という

知的生活でのアイディアであったり、

発想の提案が書かれている本である。

が、

思い出したのは、その中の

「時の試練」

の章である。

これは決して先ごろ書いたような

「本物」であるか「偽り」であるか・・

ではない。

しかし、「偽り」ではないまでも、

その視点が

「刹那的」なのか

「永遠」なのか?

を問うものと、

それを理解する側の‘眼’なのである。

大正時代、天才という名を欲しいままにした

島田清次朗という作家。

(今では‘作家’と書かなければ、何をした人なのか

わからない)

当時、疑問や批判の的になっていた

夏目漱石。

大正の中ごろに、

現在の夏目漱石の評価を予測しえた人は

ほとんどいなかった・・・らしい。

それほど、

人々の「眼」というのは、

慣れ親しんだ中での逸品しか

理解することが困難である・・・

ということなのだ。

著者は

「流行の眼がね」と称する。

過去の産物と現代知り得る安心の中では、

なかなか真の価値を見出すことを

ためらわせる・・というのだ。

真の価値あるものは、

それは・・過去から延々と続いてきた

「時の試練」を経て

辿り着く(古典化)ものだ、と。

「時の試練」を潜り抜けて古典化されてこそ、

人々の

価値も安定する・・・と。

つまり、「現在」真っ只中で

(大正時代のように)

価値を見極められない・・。

もちろん、

それは・・結果なので、

誰しもが納得するのであるが、

著者の面白い提案はココカラだ。

では、「現在」真っ只中で、

まだ、新しいものが怪奇な姿のまま、のうちに、

「時の試練」を経る前のものを、

どうしたら、

少しでも‘時の試練’を自ら課し、

「古典化」に近づけることができるのか?

の提案が面白い。




自分の中で

忘却を促進して、「古典化」を早める・・

というのだ。

コレってスーパーマンが

瞬時に地球を何周もして時を止めるみたいな???

(違うか・・?)

細かな部分は是非、原本から

読み取っていただきたいのだが、

私が注目したのは~~~~

作品についての

事後承諾の評論に終わらせることなく、

読み手側の「古典化促進」

~~~~今後、本物となるものを見つける努力

をしようじゃないか?~~~~~

・・・というような、受け手側への

提案が書かれていることである。

つまり、

「時の試練」を潜り抜ける前の作品を

‘時の流れ’だけにまかせずに、

既に読み手の努力と能力で

少しでも「古典化」を促進して判断しようじゃないか?

と言う提案。

最終的には著書全体に流れる

「思考の整理には忘却が一番」

という結論に集約されるのだが・・・

「古典化」の終わった秀作、

そして、現在の「流行」

これは、誰もが納得が安易であるし、

納得すら必要としない。

しかし、「現在」に生きる者として、

作り手も、受け手も、

やはり、安易に流されず、

未来に向けての「本物」を

見つけたり、

目指したり~~

という困難さを

手放すのは・・・・

つまらない。




「忘却」でそれができるなら、

私なんぞ年齢的にも得意中の得意なんだが・・・・

そうじゃなくて!!!

私が思うには、

常に新鮮な興味を持てる

感受性を失わない~~

ということだろうか。




「慣れ親しんだ眼がね」

「気楽な眼がね」

をかけない

素の眼で

対峙する~~~~~

それを困難と思わない弾力のある感性。

ただし、

この場合の感性とは

持ち合わせている感性ではなく、

自ら努力し、作り出す感性である。





しかし、

20年も前に読んだ時と、

まったく違う箇所が気になるのは・・・・

人間もまた生身で

「時の試練」を

経ている・・ということに他ならない~~~~。

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本物を見る眼

静かに厳しく

本物を見ようとする眼や

純粋に穏やかに

本物を感じたいとする心を持った人、

そして、他者に惑わされること無く、

自分自身の眼、耳、心に

正直にいようとする人

そして、

それを自分の言葉で語ることのできる人・・・が

私は好きだ。

分野にとらわれず、

私が長くつきあっている友人は

皆そういう一片を持ち合わせている人ばかりだ。

それは音楽ばかりでなく、

文学でも美術でもetc・・・・。

今日、

久々に更新をされた友人のブログを読んで

改めて実感した次第。

彼女は、中学時代からの友人。

(実は幼稚園も同じだったが当時の記憶は曖昧)

彼女とは、よく美術館や博物館、

(特に古き日本の美術物)

にご一緒していただく。

しかし、昔はよく音楽会もご一緒した。

実は、あのNHKホールに初めて出かけたのは、

彼女とだったし、

私が初めて生で

オーケストラがボックス入りしたバレエ(チャイコ)

を見に行ったのも・・・・

彼女とだった!

彼女は豊富な知識のみならず、

理知的な分析力もあり、

同時に、

本質を感じようとする真剣さがあり、

それを自分の言葉で丁寧に表現する

誠実さのある人。

そういう彼女と作品を見たり、

話をするのは

非常に楽しい。

今日、更新された

彼女のブログをちょっと・・ご紹介。

http://japanesearts.cocolog-nifty.com/silkroad/2009/09/post-f2ff.html


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NHK~爆笑問題~「ニッポンの教養」

昨日のNHK(爆笑問題in 芸大)。

だいぶ・・カットされたようだったが、

さほど編集に違和感は無かった。

もともと、‘爆笑問題’は大好き。

しかし

番組のとしてのテーマが決まっていたのか、

太田氏個人の問いかけだったのか・・・?

教授や学生に

どんな返答や議論を期待していたのか

番組としての主旨が

少々、ぼんやりとした印象が否めない感も?

♪すぐ美味しい~♪すごく美味し~い♪

が全てじゃないくらい熟知しているはずなのに、

「今すぐ伝えたい」とか

「より多くの一般大衆に響いてもらわなくちゃ」

と彼は拘る。

表現者全てが、その問題に直面しているかどうかを問われても

直面する必要のある者と無い者が同時に居て当然。

彼のもつ疑問点は

「フレンチのコース料理や、

時間をかけて目や香りを楽しみながら食す

懐石料理じゃ

餓死する人を救えない」

し、

「三ツ星の美味しさは、

いくら世界一流と言われようとも、

大勢の大衆に味わってもらえない。」

というのと同じでは?と、思えた。

そして

「そこをどう考えるか?」・・・と。

「(受け手の反応までの)時間」・「(受け手の)物量的な数」の問題と

「表現者側の満足」の問題を

美術や音楽の表現の中に

投影していたように感じた。



多種多様な「表現」を

同じ物差しでは

測れない・・・・し、

また、物差しは

受け手側だけに発生するものでもあるまい。

そして・・・更に彼は

表現者としての

選択や価値観は自由だとしても

ただ社会で生きていくために

さてどうする~

と?

その解決法は表現者個々さまざま~

というところにしか

落としどころは無いわけで。

当然収束することなく問題の矢を放って・・・番組は

G.P.
  

にて終了。

それにしても、

「即」

「数」

かあ~~~~~~~~~~。

その(‘即’と`数’)ために

捨てなければならない魂がある~~

と力を込める太田氏は

実はご本人が

葛藤やジレンマに絶えず取り囲まれて

いるようにも見て取れた。



「現代の表現者が直面している問題点」

というけれど~~~

古来からず~~~っと

その問題と相対しているのが

表現とか芸術だろうし、

当然のことながら、

美術と音楽とでもまた違うし。

表現も違えば、感動の仕方も違う。

(深いところでは同じだとしても)

でも、皆、‘個’。

自然に其々が夫々の淘汰を

探るしかないし、

目指す満足の境地や質は

十人十色。

また、

表現者も生きてる限り、

同時に、

(他の表現の)‘受け手’となっているわけで。

受けては誰でも、

応急処置が必要な魂も

ゆっくり体質改善したい魂も

持ち合わせていて、

自由にその対象(表現者)を

選び取っている。

表現の価値は、それぞれの需要に発生し、

物理的な時間に比例するものでもなく

(刹那的な価値も、永遠の価値も有り)、

‘手ごたえ’や‘反応’が

民主主義的ににもたらせれるものでもなく、

無論、

少数=絶滅種=貴重

と思い込んだり陶酔するのは

短絡的な勘違いというもの。

後者(勘違い)に引き篭もること無かれ~

というメッセージなら

ありきたりに浮遊している。


でも、時には多数決から

解き放たれる自由も

必要だったり~。

「即」

どころか~~~~

「今」も

「昔」も

鮮やかなひとつの答えは

到達しないのではなく、

‘存在しない’

よって・・・

正解は~~~~

── G.P. ──

に縋るしかない~~か(←反語に非ず、息を吐いて小さく発音するka )

番組の製作方向に

納得。

しかし、若い人が、

こうしたいろいろな迷いを持ちつつ、

そして振り払いつつ、

ひとつの方向性を探る可能性に繋げるには

とても良い機会。


昔、友人が美術館で

「歴史上の作品を見ると、

やはり細やかな手の込んだ作品は

平和な時代に出来ているのね」

と言った一言を思い出す。

こうした議論を楽しめる時代

期待できるかも!

そして、押しも押されもしない

大御所に向かいつつある

「爆笑問題」が、

そのうち・・何かまったく別の表現を

見せてくれるような期待も・・!!

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芸大美術館

中学時代の友人と芸大美術館

「コレンクションの誕生・成長・変容」へ・・。

友人は美術(特に‘和もの’)に詳しいので、

いつもご一緒していただいている。

特に、仏像関係の美術は

彼女の説明無しには時代さえも

作品からだけでは受け取れない私。

細かく、装飾品がたくさんあるから、

○○時代・・とか聞くと

時代背景や作品の背景が想像され、

非常に面白い。

友人は数年前に五浦に出かけて以来、

平櫛田中がどんな人だったのか気になっていて、

それが

今日、

彫像があった!

・・・と。

大変暑い日だったが、

思い切って出かけた分、

充実した時間が過ごせた。


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