昨日からセンター試験が全国各地で行われています。
いよいよ受験シーズンの到来です!!
私の受け持つ受験生の中で
今年本番!という生徒は珍しく1人だけですが、
やはり昨日のセンターはどうだっただろうか?
気がかりです。
全国各地では
開場も様々で、
気候も電車状況も様々。
同じ試験を受けるからって
全然平等じゃないですね。
でも、
そもそも平等なんて無い様に思います。
(もちろん六法全書レベルの平等は保障されなければなりませんが)
平等の拡大解釈は禁物だと思います。
環境という点では~
在籍校から志望校へ行く人数が多いとか、少ないとか、
また
あの塾へ行けたとか行けなかったとか・・・
あの家は金持ちで湯水のごとく家庭教師をやとっていたとかいなかったとか・・
全く10人10色の状況という個性を引っさげています。
家庭環境まで広げれば~言うに及びません。
さらに受験そのものをとってみても~~
全てに序列が付けられ、
全て順番に合否が決まることなんてありえない。
簡単に考えると、
AとB同日試験の場合、
AはBよりちょっと難しい・・
そんな時、
AとBの中間の成績の場合どうするでしょう?
次の日はBより簡単(とされる)試験。
Aを落ちた場合、Cになりますね。
その時、「あ~~Bにしておけば!?」
等よくある話。
もちろん、体調など不可抗力で状況変更が余儀なくされることも!
でも、数年経っても~ABCの序列がそのままという保証もありません。
だからって・・
そのことに不満を募らせても何も始まりません。
「そもそも平等じゃないんだ」
ってことを、小さい時から教育する必要があると
昨今思っています。
最近では
「平等」を意識するあまり、
主役が数人出る学芸会や、
徒競走で順位をつけない教育方法まであるそうです。
試験をしても点数を出さない・・・とか。
それは、
「できないんだ」というマイナスのイメージも曇らせるばかりでなく、
「できるんだ」というプラスのイメージも曇らせてしまいます。
「できる」ことが全てではないけれど、
「できる」こと、「できない」ことに目を向けて自覚することも大事だと思います。
できなくてもやりたいから頑張ること、これは向いてないからと
やらないこと・・・
いろいろあって良いでしょうし、
それなりの教育方法もあると思います。
皆同じ~と育てられて、ある一定の年齢になって
「合」「否」を突きつけられる時のショックはいかばかりでしょう?
まあ~そこまで呑気な状況もないでしょうが
悪い意味でなく、
「皆、不平等な環境・能力の中にあって、
そこから自分の個性を見つけたり、延ばしたりしていく方法を見つけて
生きていくんだ」
ということを
小さな頃から自覚することで随分と楽になることも、
不可能に挑戦する意欲が生まれることもあると思います。
オリンピックで
身体能力が生まれつき違う人種同士で
競い合います。
DNAの違いだから・・・うちの国は○○の競技は参加しない
ってことは無いですものね。
私が子供の頃、
フィギュアスケートは日本人は無理!
スケートなんて日常のスポーツじゃないし、
日本人は背が小さくて、足が短いから~~!!
って思っていたのに、
たった四半世紀で素晴らしい快挙を遂げています!
不平等を自覚することは決して諦めることとも違うのです。
不平等は当然の前提として、
自分自身の個性をどう考えるか、
自分自身が何を大事として選ぶのか?
考えると、楽になる~~と
年を取ってくるととみに思うようになりました。
センター試験からおもいがけない方向に話がいってしまいましたが、
やるだけのことをやったら、
点数で可能性を図るだけでなく、
選ばれるかどうか?だけではなくて、
自分が自分の力をどこで生かすのか?
どこを選択するのか??
という目で大学という「環境」を選択して欲しいな~と思います。
もちろん、そこは最終目標ではないはずです。
老婆心より。
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