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NHK~爆笑問題~「ニッポンの教養」

昨日のNHK(爆笑問題in 芸大)。

だいぶ・・カットされたようだったが、

さほど編集に違和感は無かった。

もともと、‘爆笑問題’は大好き。

しかし

番組のとしてのテーマが決まっていたのか、

太田氏個人の問いかけだったのか・・・?

教授や学生に

どんな返答や議論を期待していたのか

番組としての主旨が

少々、ぼんやりとした印象が否めない感も?

♪すぐ美味しい~♪すごく美味し~い♪

が全てじゃないくらい熟知しているはずなのに、

「今すぐ伝えたい」とか

「より多くの一般大衆に響いてもらわなくちゃ」

と彼は拘る。

表現者全てが、その問題に直面しているかどうかを問われても

直面する必要のある者と無い者が同時に居て当然。

彼のもつ疑問点は

「フレンチのコース料理や、

時間をかけて目や香りを楽しみながら食す

懐石料理じゃ

餓死する人を救えない」

し、

「三ツ星の美味しさは、

いくら世界一流と言われようとも、

大勢の大衆に味わってもらえない。」

というのと同じでは?と、思えた。

そして

「そこをどう考えるか?」・・・と。

「(受け手の反応までの)時間」・「(受け手の)物量的な数」の問題と

「表現者側の満足」の問題を

美術や音楽の表現の中に

投影していたように感じた。



多種多様な「表現」を

同じ物差しでは

測れない・・・・し、

また、物差しは

受け手側だけに発生するものでもあるまい。

そして・・・更に彼は

表現者としての

選択や価値観は自由だとしても

ただ社会で生きていくために

さてどうする~

と?

その解決法は表現者個々さまざま~

というところにしか

落としどころは無いわけで。

当然収束することなく問題の矢を放って・・・番組は

G.P.
  

にて終了。

それにしても、

「即」

「数」

かあ~~~~~~~~~~。

その(‘即’と`数’)ために

捨てなければならない魂がある~~

と力を込める太田氏は

実はご本人が

葛藤やジレンマに絶えず取り囲まれて

いるようにも見て取れた。



「現代の表現者が直面している問題点」

というけれど~~~

古来からず~~~っと

その問題と相対しているのが

表現とか芸術だろうし、

当然のことながら、

美術と音楽とでもまた違うし。

表現も違えば、感動の仕方も違う。

(深いところでは同じだとしても)

でも、皆、‘個’。

自然に其々が夫々の淘汰を

探るしかないし、

目指す満足の境地や質は

十人十色。

また、

表現者も生きてる限り、

同時に、

(他の表現の)‘受け手’となっているわけで。

受けては誰でも、

応急処置が必要な魂も

ゆっくり体質改善したい魂も

持ち合わせていて、

自由にその対象(表現者)を

選び取っている。

表現の価値は、それぞれの需要に発生し、

物理的な時間に比例するものでもなく

(刹那的な価値も、永遠の価値も有り)、

‘手ごたえ’や‘反応’が

民主主義的ににもたらせれるものでもなく、

無論、

少数=絶滅種=貴重

と思い込んだり陶酔するのは

短絡的な勘違いというもの。

後者(勘違い)に引き篭もること無かれ~

というメッセージなら

ありきたりに浮遊している。


でも、時には多数決から

解き放たれる自由も

必要だったり~。

「即」

どころか~~~~

「今」も

「昔」も

鮮やかなひとつの答えは

到達しないのではなく、

‘存在しない’

よって・・・

正解は~~~~

── G.P. ──

に縋るしかない~~か(←反語に非ず、息を吐いて小さく発音するka )

番組の製作方向に

納得。

しかし、若い人が、

こうしたいろいろな迷いを持ちつつ、

そして振り払いつつ、

ひとつの方向性を探る可能性に繋げるには

とても良い機会。


昔、友人が美術館で

「歴史上の作品を見ると、

やはり細やかな手の込んだ作品は

平和な時代に出来ているのね」

と言った一言を思い出す。

こうした議論を楽しめる時代

期待できるかも!

そして、押しも押されもしない

大御所に向かいつつある

「爆笑問題」が、

そのうち・・何かまったく別の表現を

見せてくれるような期待も・・!!

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